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足が痛くてリヤカー(?)で運んでもらった

日曜日の夕方、母から電話があった。
母から電話をかけてくるのは珍しいことだ。

「あのね、大変なことになっちゃったのよ!」

前日、母と同居している姪(弟の子)が腎盂腎炎で高熱を出して入院していたので、姪に何かあったのかと思ったら・・・

「今日、グランドゴルフに行ってたのよ・・・」

え? 
朝、電話で母と話した時は、「今日は何の予定もない。寒いから一日家に居るわ」と言っていたよね?

「そしたら、途中で右足が痛くて歩けなくなっちゃったの。
 それで、どうしようもないから、会館にある荷物を運ぶやつ、
 え~と、リヤカー! で、家まで運んでもらったの。」

リヤカー!? って、いったい、いつの時代の話なんじゃ~
どうやら高齢者ばかりのメンバーで、タクシーを頼んで帰るという発想などもなく、

「歩けないってよ。どうする?
 あっ、あそこのリヤカーを借りて、家まで連れて行くか~」

ということになったのか?

いや、待てよ。今どき、会館にリヤカーなんて置いてないよね?
おそらく、荷物を運ぶ 台車 にでも座って、ゴロゴロ押してもらって家まで帰って来たのではないか? 
母が帰ってきた時の様子を家族は誰も見ていないので、真相は藪の中。

とにかく、右足が痛くって、歩けないと言う。
家の中は、左足だけでケンケンして、壁伝いに移動するような感じ。
どこが、どういうふうに痛いのか訊くと、膝の関節などが痛いのではない。
足を地面につくと、ふくらはぎ、膝の裏側、太股の裏あたりが痛いらしい。

ネットで調べて、座骨神経痛かなぁと見当を付けた。
翌日月曜日、仕事が休みだった弟のお嫁さんに車椅子で整形外科まで連れていってもらい、診てもらったところ、腰椎すべり症による座骨神経痛ということだった。

鎮痛薬を使って痛みを抑える等の対症療法でやっていくしかないだろう。
とにかく、痛いくて、痛くて、どうしようもないと言うので、
今度の水曜日のデイサービスは休み、
特養からの父の一時帰宅(木曜日~土曜日)も今週は中止、
と手配をした。

今日、火曜日、お嫁さんは出勤日。
朝、お嫁さんから「今朝はお元気そうです」メールをもらう。
その後、朝10時に母に電話をするも、「只今電話に出られません」と録音テープが流れて電話に出ない。
朝食後に痛み止めの薬を飲んでいるから、眠くなって寝ているのかもしれない。
正午前にはさすがに起きているだろう。
起きてないなら電話で起こそう。
と、電話をするも、「只今電話に出られません」。
足が痛いのだから、まさか、ひとりで外出はしないよね?
と思いながらも、母の携帯電話にも電話・・・・コール音は鳴るが出ない。

え~? どうしたんだろ~?
まさか、家の中で転倒して起き上がれないとか?
もういちど電話をするが、やはり出ない。
これは、おかしい・・・

今年の4月に、母が具合が悪くなって寝込み、
電話に出なかった時に、やはり、
安否確認がとれないと大騒ぎになった。
結局、実家の隣の薬局に電話をして、
家を訪問して母の様子を確認してもらったことがあった。
(ベッドで寝ていて、電話の音に気づかなかったと)
弟家族と同居していると言っても、
日中は独居生活だからねぇ・・・
それを機に、弟が、母の部屋にカメラを付けて、
遠隔操作でスマホから部屋の様子が見れるようにしていた。

でも、私はスマホを使っていないので(ガラケーとfire タブレット)、
部屋の様子を見てもらうため弟にメールをしようと思っていたところへ、
母の携帯電話から電話が入った。

「はい、なに? 電話した?
 あともう少しで、ハンドベルが終わるのよ。
 今日、ハンドベルの発表があったの。」

人の心配をよそに、ノーテンキなお応え。

「お母さん、足、痛いんじゃないの?
 どうやって行ったの? 歩いて行ったの?」

「だいぶいいみたい。
 自転車で来たの。歩くより自転車のほうが全然楽だから。」

「え~? 今は薬で痛みを抑えているだけなんじゃないの?
 もう、終わって家に帰ったら、心配だから、確認の電話をちょうだいね!」

右足が痛い、痛いと言ってはいるが、思ったより、元気そう??

明日は午前中に実家に行き、午後に予約をした「もの忘れ外来」に母を連れて行く予定。

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やっぱり末弟もアルツハイマーだった

夫の末弟が突然亡くなった。
「突然」というのは、私たちにとってだけで、
実は昨年の9月には癌だと診断されていたのだそうだ。

末弟からの年賀状、
毎年自身でユニークな絵と文字で送ってきたいたのが、
今年の年賀状は筆跡が違っていた。
奥さんが書いたものだと思われた。
その時に、もしかして、字が書けなくなっているのでは?
認知症が発症したのかも・・・という予感がしていた。

夫名義で送った香典が届いたのであろう。
末弟の奥さんから電話がかかってきた。
そして、実は・・・
本人が「絶対にきょうだいには(癌のこと)伝えないで欲しい」と言うので、
今まで言えなかったのだと。
その上、その数年前から、認知症のような症状が出ていておかしかった。
9月に癌の検査入院した時に、
「アルツハイマー型認知症も発症している」と診断された。

在宅で抗がん剤治療を始めたけれども、
認知症の症状がひどくなり(たぶん、せん妄)、
昼夜逆転して、夜は眠らない。
夜中に大声を出して騒ぎ、
外へ出ていってしまう。
外へ出て行かないように玄関を閉めておいたら、
裏玄関から抜け出て、階段から転がり落ちる。
末弟と奥さんは二人暮らしなので、
一人で介護をしていたそうだ。

でも、あまりにも認知症の症状がひどく
6月に入院をさせたが、
抗がん剤治療をしているのに、
隠れて煙草を吸ったり、酒を飲んだりしていたので、
強制的に退院させられた。

ケアマネがデイサービスを紹介してくれたが、
本人は行きたがらず。
騙して(?)デイサービスに連れて行ったら、
本人が携帯電話から110番して
「誘拐されている! 助けて!」とか、
警察官が来る騒ぎに・・・

そのうち、だんだん食べられなくなり、
メイバランスを飲ませたり、
好きなブドウとかブドウパンを食べさせたり。
でも、栄養不足になって、やせて
寝たきりでないにもかかわらず、
座っているだけでひどい褥瘡ができた。

結局、介護保険サービスは訪問看護利用で
褥瘡の手当をしてもらうぐらいだったらしい。

最後に入院した時も、
身体は弱っているのに、大声で
「どろぼう! どろぼう!」等と叫び、暴れるので、
看護師さんが5人がかりぐらいでやっと抑えている状態。
「病院がよく受け入れてくれたわ」と。

「病気よりも、認知症の症状が大変」
「あまりにも大変過ぎたので、
 亡くなった今、涙も出ないわ・・・」
と奥さん。

ケアマネや訪問看護師さんの助けはあったかもしれないけれども、
在宅で、夜中に、わぁ~っと騒いでいる時は、
結局は奥さん一人だけで見なければならなかった。
今まで外の人にそれを言うこともできなくて、
一人で抱え込んで介護をしていたのだろう。
どんなにか辛く、心細かっただろう。
せめて、その渦中に、話を聞いてあげることができていたら・・・

このブログを書き始めた3~4年前までは
夫のきょうだいのうち、認知症を発症していたのは
夫だけだったと思う。
でも、夫は長男で、きょうだいはみな年下だから、
年月を重ねていくうちに、
他のきょうだいにも認知症と診断される人が出てきた。

もう、私の周りは、あっちでも、こっちでも認知症。
認知症だらけの様相を呈してきた。


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認知症の夫の「人間力」

テーブルの上に、夫の薬と、私の飲む風邪薬、
両方を用意して置いておいたら、
夫が両方とも掌に掴んで、しまおうとしたのか、
どこかへ持って行こうとしたのか・・・

私は、夫の掌の中の薬を取り換えそうと、
夫の手を掴んで掌をこじ開けようとした。

そしたら、夫は私の手を振り払って、

 ボクはひとりの人間として、
 ちゃんと自分で考えてやりたいんだよ。
 そんなふうに手を捕まれたりしたら、
 ボクという人間の尊厳が壊れてしまうよ!

と言って怒った。

私は、二人分の薬を掴んでいる夫を見て、
「またいつもの困ったちゃんが始まった!」とばかりに、
何も夫に話しかけることなく、いきなり
手を引っぱって、薬を取り返そうとしたのだった。

私から見ると、
「また、何わけのわからないことを、やっているんだか!」と
イライラの種であっても、
夫にすれば、自分なりの理由があって、
自分でやりたかった何かがあった。

私が無神経すぎた。

自分に対してされた不当な扱いを敏感に感じ取り、
鈍感すぎる私に対して、
夫はビシッと抗議の声をあげたのだ。

私は、いつも、夫の「人間力」に、かなわない。
夫はいつも私に教えてくれる。

夫の偉大なる魂(マハトマ)を抱きしめて、
謝った。

なお、念のために申し添えると、
夫は日本語で表現したわけではない。
夫は生まれつき耳が聞こえず、音声で話をしない。
いつも手話で話している。
夫が手話で表した内容を日本語に翻訳すると、
上記のような言葉になるのだ。

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夫の教え子たちのやさしさに助けられた一日

ここのところずっと悩んでいた。
夫の担任したクラスの教え子たちからクラス会に招かれていることに。
というのも、最近の夫はもう普通の(この世の)会話をすることができないから。
そういう夫を見て、教え子たちがひどく戸惑ってしまうのではないか?
なんどかお断りをしようかと思いながら、
でも、せっかく準備をしてくださっているお気持ちを無にしては・・・
と逡巡しているうちに当日を迎えた。

以前、我が家に遊びに来てくれた教え子たちが幹事になって集いを企画してくれた。
夫が参加しやすいように、我が家から近くで、車椅子用トイレのある会場。
(実は、会場が決まってからも、初めてのところは心配だったので、夫を連れてそのレストランに内緒で下見に行った。)

当日は小規模多機能の車で会場まで送迎してもらうことにした。
車に乗ってしまえば10分ほどの距離。
でも、夫は会場に着いたときから、もう「疲れたぁ~」を連発。
大丈夫かぁ?

参加者は教え子たち14人と私たち夫婦。
夫の席が指定されていたが、
その位置から全体の席を見ようとすると
窓からの光が目に入り、
白内障の夫は、真っ暗に見えてしまうので、
日光を背に浴びる位置に変更してもらった。

また、幹事さんに、
夫の右眼がほとんど見えないこと
左眼も視野が狭くなっているので、
離れた位置にいる二人の会話を読み取ることができないので、
夫に話しかける時は一人ずつ正面から話して欲しいこと
を伝えた。
幹事さんが他のみんなにも伝えてくれた。

コース料理の後、代表して4人が
夫の思い出話をしてくれた。

私の知らない、夫の学校での教師としての様子を、
知ることができて嬉しかった。
何人かから
「先生に出会わなかったら、今のボクはない」
という言葉をもらい、ありがたくて、涙が出た。

夫は、みんなの話を理解できているのか?
と心配だったが、
自分のことについて話されていることがわかって、
適切な場面で笑ったり、手を叩いたりしていた。

また個別に話しかけてこられた人達へは
「よし、いいぞ! なお一層頑張れよ!」と
それぞれの話に励ましの言葉を返していた。

もちろん、夫は話された内容を充分判っているわけではない。
具体的な何かを話すことはできないけれど、
ありきたりの言葉を使っての応答だけど、
やっぱり元教師なんだなぁ~。

ところで、普通のクラス会に呼ばれたのだと思っていたが、
夫の長寿の節目のお祝い(ほんとうは来年だし、誕生日でもないけれども)という趣旨も兼ねてのことだった。
お祝いの言葉の入ったケーキが用意され、夫はろうそくの火を5回ぐらいに分けて吹き消した。

ぼかし2018-12-1 
最後に、先生から一言。

前もって頼まれていた。
でも、前もって頼まれたからと言って、
練習したり、用意したりしてもダメなことは判っている。
あらかじめ文章を用意してそれを読み上げる・・・なんて、
夫には似合わないし、たぶん、うまくできない。
だから、もう最後は、
  夫の「人間力」で乗り切るしかない
と思っていた。

「先生、ひとことご挨拶を!」
夫は、なかなか自分が挨拶をする番だということを理解しなかったが、
私とやりとりしながら、

「ここでは涙を見せなかったけれども、
 家に帰ってから、一人ひとりのことを思い出して、
 涙をこぼすと思う」

等という言葉が夫から出て、
なんとか二人でお礼の言葉を述べることができた。

今日参加できなかったアメリカ在住の教え子が、来年帰国するので、その時にはクラスの女子3人で我が家に遊びに来るから、というお約束もいただいた。

それぞれ素敵な人間に成長した、夫の教え子たちのやさしさに、
助けられた師走の一日だった。
    
IMG_1972 (2)

(デイサービスで夫が書いてきた 「師走」) 

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母と親族の葬儀に参列

先日、親族のお葬儀が、母の実家のお寺で行われた。
故人とは私はほとんど交流がなかったので、
母だけ参列すればよかったのだけれど、
母が一人で都内のお寺まで行って帰って来れるか
甚だ心許なかったので、私が同行することにした。

先週実家に行ったときに、母は喪服を探していた。
私が実家に居た時には見つからなかった。
この夏に知人のお葬儀に着て行ったものがあるはずなのだが、
それも見当たらなかった。
もしあったとしても、それは半袖だったので、
黒の長袖の上着が必要だった。
見つからない場合は、近くの○オンで購入か?
と思っていたところ、翌日電話をしてみると、
「孫の部屋に置いてあるロッカーに入っていた」
と報告を受けた。

当日は葬儀場でコートを脱いだ母の喪服を見て
一瞬、えっ? と、驚いた。
白いボウタイ襟のブラウスを着ていたからだ。
その上に黒い上着を着てはいたのだが・・・
襟が寒いと思ったからかもしれないけれども、
う~ん、ちょっと・・・
まあ、男性は白のワイシャツを着ているわけだから、
ダメってことはないのかもしれないけど、
異和感を感じた。

今回の葬儀でわかったこと。

母の1つ年上の兄(伯父)は以前から認知症だと聞いていた。
その伯父は、伯母に付き添われて参列していた。
一言も話さず、告別式が終わった段階でお帰りになった。

母の2つ年下の弟(叔父)は、社交的で
母と性格が一番似ていると母の妹たちは言う。
この叔父が先頃、アルツハイマー型認知症だと診断されたそうだ。
叔父は葬儀場のお寺から10分もかからないところに
妻と娘と三人で住んでいるが、
葬儀に着たのは妻(叔母)と娘(従妹)だけだった。
なんでも「頻尿なので、来れない」。
「やる気が出なくて、ボーッとしている。」
「介護サービスは使っていない。今日は家に一人で居る。」
「少し前までは町会長を務めていたけど・・・その頃、発症。」
「家の中がゴミ屋敷状態・・・」
だそうで、焼き場で収骨が終わり、お寺まで帰ってくると、
叔母と従妹は、自宅で一人でいる叔父が心配なので・・・と
精進落としのお食事はせずに、急いで帰って行った。

母の妹達には、
今のところ認知症の症状は現れていないが、
年齢は3歳下、9歳下なので、今後はわからない。

・・・ということは、私も順調に行けば、
80歳前後で認知症発症ということか・・・

誰でも認知症になり得る。
認知症でも安心して暮らせる世の中に!

・・・と思うけれども、
まずは、今後の母の暮らしをどう支えていくのか、
弟やお嫁さんとの関係を含めて、
なかなか容易なことではなさそうで、
ため息が出る。

私の風邪はなかなか治らず、
ややこしい課題に取り組むには
ちょっとしんどい。
少し休もう。

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プロフィール

アワキビ

Author:アワキビ
夫と2人暮らし。
子どもはいません。
2人と猫2匹の家族です。

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