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思いがけず、友人に出会う

今日は地元の「商交会まつり」があった。
とっても小さな「まつり」なのだけれども、
「やきそば」が500人!に無料で振る舞われると言うので、
午前11時をまわった頃、夫を車椅子に乗せて出掛けた。
既に行列ができていたので、最後列に並ぶ。
ご近所の顔見知りの方もボランティアで出ている。
お疲れ様です。
私たちは15分ぐらい並んで、「やきそば」をいただきました。

焼きそば 

子ども用に「射的ゲーム」あり、フリーマーケットがちょこっとあり、あとは洋品店の在庫処分?、植木(花)屋さんが鉢植えを並べていて、生ビール・ラッシー(インド料理屋さんか?)が出ているぐらい。
後の時間にはビンゴゲームがあり、賞品がいろいろ出るらしい。

夫はやきそばを全部食べきらないうちに、お腹いっぱいになった。
夫が少し残したやきそばは私が食べた。
もちろん私は自分の分のやきそばも全部食べた。

その後は、「まつり」を離れて、徒歩20分ほどのところにある
セール中の珈琲豆専門店へ行く。
「あら、お久しぶり~」
夫と私が行くと、お店の奥さんが声を掛けて来る。

珈琲 
珈琲豆を買って、それから店頭で珈琲(150円!)を飲む。

3年ぐらい前まで、夫は、月に1度ぐらいは、
この店に珈琲豆を買いに来ていた。
認知症になってから、夫が一人で出掛けられるところが、
徐々に少なくなっていったが、この珈琲豆専門店は、
最後の方まで一人で行くことができたお店だ。
夫の足で徒歩20分はかなりの遠出だったけれども、
頑張って行っていたんだよ。

でも、3年ぐらい前の冬頃から、急に歩行が悪くなり、
外が歩けなくなり、この珈琲豆専門店からも足が遠のいた。
その頃から、見当識障害が急激に進行したように感じる。
見当識が悪くなった(認知症が進んだ)から、
夫は歩きにくくなったのだろうと思う。

歩行しにくくなったことは、残念だけど、
でも、かえって良かったのかも知れないとも思う。
見当識障害がひどいにも関わらず、健脚でどんどん歩けたら、
道に迷ったり、自宅に帰ってこれなくなってしまうから。
外へ一人で出掛けた時に、自分で自分の身を守ることができないから。

歩きにくくなったけれども、
家に閉じこもったままになるつもりはない。
車椅子があるから、一緒にあちこち出掛けられるよ!

珈琲豆を買った後、お散歩しようと思ったけれども、
思いの外、日差しが厳しくて暑いので、きついなあ。
夫も、「もう家に帰りましょう」と言う。
じゃあ、ちょっと少しだけ遠回りして帰ろうか?
帰り道に、餃子居酒屋があった。
去年ぐらいにできたらしい新しいお店だ。
前から一度入ってみたかったんだ。
夫に「餃子食べようか?」と訊くと、
「え~ 要らない」と言う。
「私は、食べたいんだけどなあ」
「食べたいんなら、一緒に入ってもいいよ」

ランチセットがあったけれども、
さっき焼きそばを食べたから、
焼き餃子だけにしよう。

餃子 

皮がモチモチで肉汁がじゅわ~っと出る
美味しい餃子でしたよ。
餃子を食べ終わって、さあ、出ようかな・・・と思っていた時に、
店に入ってきた人影に声をかけられた。

うわぁ~、奇遇だねぇ (^-^)/
夫の30年来の友人、50代の男性。
びっくりだぁ。どうして、こんなところに?
えぇ? よくこの道歩いているの? 
自宅まで歩いて帰る途中?
家まで遠いのに、健康のために歩いているの?

私たちのテーブルに彼を座らせ、
彼が餃子ランチセットを食べる間、
おしゃべり ( ^o^)

私たちの共通の友人に、
有料老人ホームに入居しているTさん、Y子さん夫婦が居る。
彼がよくTさん、Y子さんのところに面会に行っているってことを、
Y子さんから聞いている。
「近いうちに会いにいくつもりだけど、あそこ、坂がきつくてねぇ。
 車椅子を押して登るのが大変なのよ~」と私が言うと、
「ボク、いつも車で行っているから、車で一緒に連れて行ってあげるよ」って。

彼は現役で仕事をしている人で、忙しいし、うまく日程が合うかなぁ?
でも、そうできたら嬉しいなあ \(^o^)/

餃子屋を3人で出て、帰り道、途中まで一緒におしゃべりしながら歩く。
夫は、かなりトンチンカンなやりとりをしているけれども、
私と2人だけで居る時と、友人と一緒に居る時とでは、
適度な緊張感があり、やっぱり違うんだなあ。
よい刺激になっていると思う。

今日は、思いがけなく友人に出会えて、良い日だったなぁ (*^_^*)

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とても温かで とてもせつないきみ

そろそろ夕食の準備にとりかかるか。
ふと台所を見ると、
流し台の上に玉子が2個のっている。
隣には水の入ったヤカンが・・・・
どうやら、冷蔵庫から玉子を取り出して、
茹で玉子でもつくろうとしたらしい・・・

・・・と、トイレから出てきた夫が、困惑した顔で、
トイレのドアを開けたまま中を指さして、
「ちょっと見て、たいへん!
 玉子を茹でていたんだけど・・・
 見てくれる?」

えぇ?
トイレで玉子を茹でるわきゃぁないだろう~
トイレの中を覗いてみると、
トイレはちゃんと蓋も閉められて、何も変わりありません。
「な~に? 大丈夫だよ。」
「ホント? 玉子茹でて、へんになったんだけど??」
トイレはぴくりとも動かず、静かです。

私の想像はこうだ。
夫はいつもトイレで用を足した後、水を流すのだが、
タンクの上から出る手洗い用の水がなかなか止まらないことに
いつも困惑する。
「タンクがいっぱいになったら、水は自動的に止まるんだよ」
と説明しても、水洗トイレの仕組みが理解できなくなっている夫。
今日も、トイレの水が止まらなくて「困った」夫。
そのことを言おうと思ったのだが、
トイレに入る前に「玉子を茹でようとしていた」ことが、
頭の中で混線して、
「トイレで、玉子を茹でたが、困った」
ことになってしまった・・・んじゃないかな?

その後、私が野菜を切ったりしていると、
夫がそっと近づいてきて、
「この家の中にある機械とかの使い方が
ボクは全然わからないので、スマナイ」
と、夕食の準備を手伝えないことを
申し訳なく思って、恐縮しているのだ。
「ううん、いいの!
この家の調理道具とか、調理器機は、全部、
あなたが買ってくれたんじゃない。
ありがとうね!
だから、つくるのは私がやるから、
そこに座って待っててね。」
「そお?」
夫は、ほっとしたようにソファに腰を掛けた。

☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆

なんかね、下に紹介する絵本のカンガルーの奥さんに
夫の様子がとても似ているの。

『とても温かで
 とてもせつないきみの絵本』
   原作/ジュヌヴィエーヴ・カスターマン 
   文/さだまさし
カンガルーフフ_0002 
左の鞄を抱えている方がカンガルーの奥さんで
右側のエプロンを着けている方がカンガルーの旦那さん。
(認知症になった奥さんに代わって、お料理をしているんだね。)

カンガルーフフ_0001
ソファに座って、鞄を抱えているのが、カンガルーの奥さん。
右側が旦那さん。(奥さんが心配でおちおち本も読めないよね。)

前のページでは、
カンガルーの奥さんがお風呂に入っている。
ゴーグルをして、
バスタブのすぐ横に、鞄を置いているんだよ。

認知症の夫と暮らしている私には、この鞄の意味がよくわかる。
夫が、家の中で鞄を持ってウロウロし始めたら、
「自分の居るべき場所が見つけられない」というサインだ。

でね、絵本の次の頁の文はこう ↓
******************************
 ある日きみが急に怒り出した。
 「わたしを監獄から出して!
  おうちに帰りたいのよ!」

 僕は精一杯明るく答えた。

 「ここが嫌なの?
  よし! それなら
  いっそここから僕とふたりで
  逃げだそうじゃないか!」
******************************

ああ、カンガルーの旦那さんは、エライなぁ!
こんなふうに、やさしく言ってあげられたらな。
でも、カンガルーの旦那さん、
 精一杯明るく言いながら、心で泣いているんだよね。

カンガルーの奥さんの表情がね、変わっていく。
あっ、そう、こういう眼になるんだよね。
認知症が進んでくると、こういう眼になってくる。

私はね、おととい、夫が「家に帰る」と言い出した時に、
「なに言っているの? ここがあなたの家じゃない!
 ここがあなたの家じゃないって言うんなら、
 出て行けば! 出て行ってよ~!」
って、言っちゃった。
虫の居所が悪かったっていうのは言い訳だけど。
夫がどこへも行けないことを知っているのに、
意地悪を言っちゃった。

わたしがプリプリしていると、

「ボクのお世話が下手で、ごめんなさい。
 きみを怒らせちゃったね。」

と、認知症の夫に言われた。

うちは、時として、立場が逆になる。

とても温かで
とてもせつないきみ
大好きだよ
ありがとう。

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弟の四十九日の法要

雨の中、夫の9歳年下の弟の四十九日の法要が執り行われた。
夫が肺炎で入院中の8月に弟が亡くなり、葬儀には参列できなかった。

お寺・墓地は、同じ区内にあるので、
いつものように小規模多機能居宅介護センターの車で
お寺まで送ってもらった。

夫はスーツや、ベルトのあるズボンを穿かなくなっているので、
喪服を着るのには一苦労。
前開きのないパンツ(最近は布パンツ+尿パッドを試行中)なので、
トイレに行くときは、ズボンを全部下ろさねばならない。

前開きのファスナー付きズボンを穿いていると、
夫は昔の習慣のまま、トイレを済まそうとする。
夫は、前開きのパンツを穿いているという認識がないので、
うまくいかない。
トイレは必ず一緒に付いて行って、上げ下ろしをせねばならない。

しかし、喪服・・・というか、普通の服は、
面倒です。
まず、上着を脱がねばならない。
それからYシャツの裾が長くて、それをまくりあげて
パンツやら、ズボン下やら、ズボンを上げ下げ。
ああ、ネクタイもじゃまくさい。
本当はベルトもすべきところだけれども、
余計なものがあると、手間暇かかるので、
ベルトもなしにした。
その上、喪服をつくったときより、
夫はお腹周りが太った。
(→腹筋がなくなり、内蔵を押さえられなくなった)
ぎゅ~っとひっぱって、ズボンのホックをして、
ホックの横のボタンはもうかけられない。

これを古いお寺の、超狭~い洋式トイレの中でやる。
あまりの狭さに、トイレの個室内でできず、
ドアをあけたまま、やらなければならなかった。
これはみんなが墓地へ下りていって誰も居ない間に
急いでやった。

そう、墓地は崖ぞいにあり、
お墓は階段をずっと下りて行った先。
しかも、江戸時代からの古い墓地なので、
整然と区画されておらず、あちこち、でこぼこ。
しかも、雨。
階段の上り下りも困難な上、
お経をあげてもらっている間、
そこらじゅう雨で濡れているから座る場所もなく、
ずっと立っていることもできない夫は
墓地に下りていくことをあきらめて、
私と二人でお寺の中で待った。

その後、隣県にある実家(今は妹(三女)が住んでいる)へ行き会食。
私たちと妹(次女)は妹(三女)夫婦の車で移動。
仙台から妹(長女)も来ていて、
久し振りに、夫を、妹たちに会わすことができて
良かったなあ。

夫は、妹たちと手を握り合っていたけれども、
どこまでちゃんと妹たちと認識できていたかは、ちょっと?
やっぱり、互いに年をとってきて容貌も昔とは違ってきているしね。

夫は会食の最中も、今日が弟の四十九日の法要で、
そのために皆が集まっているということは、
まったく理解していなかったと思う。

ただ、女性たちの多くが皆パールのネックレスをしていることに
夫は気づいて、そのことを何度も言っていた。
私は普段からアクセサリー類をまったくしない。
夫は、私を見て「してないね」と。
「貧乏だからね。ないの!」と笑って言うと、
「買ったらいいよ」って。

帰り際に、もう一度、妹(三女)が夫の手を握ってくれた時に、
夫ったら、「妹に似ているなぁ・・・」と。
だって、本当の妹だから!

さらに家から出てきて、周りを見渡し、
「●●(実家の地名)の家に似ているなあ・・・」と夫。
だって、ここは●●の家だからね!

今の自宅に居て、夫が「家に帰る!」という時の「家」は、
この「●●の家」のことなのに。
「●●の家」は内装も外装もすっかり変わっている。
中に居ても、実家の「●●の家」に自分が来ているとは
まったく感じられなかったようだ。

だけど、外の家の周りの景色が、
夫の記憶にある「●●の家」
だったんだろうね。

帰りは夫を車椅子に乗せ、電車とタクシーで帰ってきた。
窮屈な服や靴と手提げ鞄(いつもは両手が使えるリュック)で、
とても疲れました。
きちんとした服装で出掛けることが、
こんなに疲れるとは・・・・
猫たちが喜んで迎えてくれたよ。

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終活を考える:墓問題

夫は長男である。
先般、亡くなった弟は二男で、祖父の代からの家業を継いだ。
三男(兄弟姉妹の末っ子)は婿養子に出て、氏が異なっている。

その三男が、
「●●家の墓(夫の祖父母・両親が眠っている)に入れるのは、
 長男だけだ! (亡くなった)二男が入るのは認めない!」
と息巻いて、電話をしてきた。

でもね、家業を継いだのは二男だし、
これまでお寺さんとのお付き合いも
二男が中心になってやってきたのだ。

それに、夫に「墓を継げ」と言われても、
子どもが居ないのに、かえって困るよ。
みすみす無縁仏にするわけにいかないから、
私が「墓じまい」をしないといけなくなる。
でも、●●家と血のつながりのない私が
「墓じまい」をしてしまうのは、
どう考えても、ちょっと・・・

二男には、墓を継いでくれる息子がいるし、
その息子が家業も継いでくれているのだから。

三男は、姉妹たちにも同様の電話を入れていたらしいが、
誰も、三男の話に共感する者はいない。
結局、三男は二男のお嫁さんが気にくわなくて、
そういうことを言っているのだと思う。

夫はどう思っているのかと言うと、
単純に祖父母・両親と一緒のお墓に入るのがいいと
思っているように思う。
きっと頼めば、一緒に入れてくれるだろうけど。

でも、後の世話を、
これまでほとんど交流のなかった(今後もたぶんない)甥に
頼むというのも、何だかね、申し訳ないし。
それに私は?
●●家のお墓に入るというのも、何か違う気がする。

他人の信仰心は尊重するけれども、
私たち夫婦について言えば、
信仰は何も持っていないので、
お墓のためだけに、お寺さんとお付き合いすることに抵抗がある。
修繕とか節々で、
多額の寄付を求められるのも信心があればいいけど、
そうでなければね・・・。

既にご主人を亡くしている夫の妹(次女80歳)は、
数年前に隣県にお墓をたてたが、
「遠くて行かれないから、草ボウボウになってる。
 もう墓じまいしたい」とため息をついていた。
この次女は50代独身の息子二人と同居している。

結婚しない人が増えた。
子どもがいない夫婦もいる。
離婚したり、再婚したり、それぞれに子どもができたりして、
家族関係が複雑になっている。
もうこれからの時代、
家単位のお墓を維持していけるところは
少なくなっていくだろう。

夫と私の骨は、どこかの合同墓に入るのが適当だろうな。
それが「どこか」が、今のところ見つかっていない。

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腎臓病の運動療法:公的医療保険の対象に

今日は、夫が小規模多機能居宅介護サービスセンターへ行っている間、
隣県に住む私の両親宅へ行った。
我が家から両親宅までは電車でおよそ1時間。

まず、父のリハビリを担当している理学療法士さんから、
「娘さんとお話をしたい」と言われて、呼び出された。
現在、父は、医療保険で、運動器のリハビリを週1回受けている。
それが、今後のリハビリは、介護保険を使っている人には、
医療保険ではなく、介護保険を使ってもらうようになる・・・云々。
もちろん、入院などの後のリハビリは医療保険が使えるが・・・

父は現在要介護2で、週5日デイサービスを利用しており、
点数はいっぱいいっぱいなので、もし、介護保険でリハビリとなると、
デイサービスを減らすか、あるいは自費でリハビリをするしかない。

たまたま一昨日、腎臓病の運動療法の一部が
今年年4月から公的医療保険の対象になったという
朝日新聞の記事を読んだ(2016年10月12日付)。
曰く、

 新たな保険適用の対象は、
糖尿病で腎機能が落ちた患者で、
一定条件のもとで医師が透析予防のための
運動指導をした場合だ。
 まだ透析が必要な段階にはなっていない
CKD患者(うちの父がこれに該当する)が
運動することで、腎機能を改善したり、
透析などに移行する割合を減らせたりできる・・・云々。

うちの父は、昨年、糖尿病で入院した際に、
腎機能が落ちていることが判明し、以来、
低タンパク食(タンパク質一日40gまで)に
することになった。

タンパク質というと、肉や魚や玉子・・・をイメージするが、
実は、ご飯でもパンでも蕎麦でも、
結構タンパク質が含まれているので、
低タンパク食で肉や魚を食べようとすると、
普通のご飯やパンを食べていては、
タンパク質量がオーバーしてしまうので、
低タンパクご飯や低タンパクパンに変えたりしないといけない。

父の場合は、デイサービスで提供される昼食やおやつは
みんなと一緒に普通に食べることにし、
朝食と夕食でタンパク質量を調整している。
朝食は低タンパク食パン+ちょっとしたおかず。
夕食は低タンパク食で調整されたおかずセット(冷凍宅配)と低タンパクご飯。
母には、腎臓病食のためにの食品ごとのタンパク質量の一覧が載っている
ガイドブックを買って渡している。
しかし、母にこれを見ながら、タンパク質量を計算して調理をするというのは無理なので・・・

ただ、低タンパク食にしたときに、カロリーを十分に摂取できていないと、身体の筋肉を分解してしまうので、筋肉がやせ細ってしまう。
そこで、きちんと高カロリーな低タンパク食を摂りながら、
筋肉量を維持できるように運動療法が必要なのだ。

とりあえず、現在の運動器のリハビリは12月までは継続できると。
その後は、医師に、この腎臓病運動療法の指導をしてもらえないか
相談しようということにした。

帰宅後、あらためて、父の担当のケアマネに、この件を報告すると、
腎臓病運動療法の医療保険適用の件を調べてみます、と。
また、通院先の理学療法士さんに連絡をとって、
事情を詳しく聞いてみてくれることになった。

認知症だと、リハビリなどの運動療法を
自主的に取り組むことが困難なので、
一定程度、週1回でもいいから、
半強制的に身体を動かすような
プログラムを組んでおきたいのだ。

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日本橋人形町・・・甘酒横丁を歩く

雨が上がり、青空が見えたので、夫を車椅子に乗せてお出掛け。
都営地下鉄新宿線の浜町駅で降りて、エレベーターで地上へ。
明治座の脇の浜町公園の緑道(石畳)を歩く。
ちょうど、明治座の向かい辺りに「明治観音堂」があった。
建立の由来を書いた立て札には、
 本堂は昭和二十年三月十日の戦災に依り
 死没せる幾多の霊の冥福を祈る為建立す
とある。
夫と二人で手を合わせた。
IMG_8467.jpg 
昭和20年3月10日当時、
浜町に住んでいた夫の先輩(故人)は、
夜中に始まった空襲の炎に追われた。
火の粉と言っても、梅干し大の火の粉が
逃げ惑う衣服の上に落ちてくる。
コンクリートで堅牢に建てられた明治座に
逃げ込んだ。
明治座の中は沢山の避難者でひしめき合い、
だんだん息が苦しくなってきたが、
かといって、建物の外は火で囲まれている。
先輩は、切符売りの窓口から事務所に入り
地下室の方に入っていった。
そこも既に沢山の人が押し合いへし合いしている。
息が苦しくなり、そのまま意識を失った。
・・・
どれくらいたったろうか、
眼を開けてあたりを見渡すと、
周りは死体の山になっていた。
焼けてはいない。窒息死だったのだろう。
先輩は、意識を失って倒れた時、
偶々、地下の溝(水路?)に顔をうつ伏せていたため、
呼吸が確保できて助かったらしい。
九死に一生を得た先輩だが、この空襲で、
先輩は母親と姉、姪を失い、遺骨すら見つかっていない。

少し歩を進めると、勧進帳の「武蔵坊弁慶」の像があった。
武蔵坊弁慶 
この像の横にある立札によると、江戸時代、このあたりには、
市村座と中村座という歌舞伎の芝居小屋があり、また、
人形浄瑠璃の芝居小屋もあった。
そのため、この界隈には、人形の製作や修理を手がける
人形細工師が住み、人形の販売もやっていた。
それが「人形町」という名の謂われだと。

地下鉄「人形町駅」のすぐ側に、
鳥料理の「玉ひで」という店がある。
正午より10分前に店の前に着いたが、
外に10人ぐらいの列ができている。
皆さん、ここの親子丼がお目当て。
IMG_8471.jpg

親子丼は午前11時半より午後1時半まで↓
IMG_8476.jpg

外国人も多いのでしょう。英語の看板も。
U-turn. 
TAMAHIDE
OYAKODON SINCE 1760
創業 宝暦十年(1760年)だそうで。
IMG_8474.jpg 
不肖私が20代の頃、会社が都営浅草線沿線にあった。
職場のグルメの先輩に連れられ、
昼休みに地下鉄に乗って、
この「玉ひで」に親子丼を食べに来たことがある。
その時も行列に並び、大急ぎで食べて、
職場へとんぼ返りしたっけ。
その時以来、今日が2回目の訪問となる。
IMG_8477.jpg
20代の当時は座敷に座る形だったけれども、
今は掘りごたつ式。相席なのは同じ。

ここの親子丼は↓こういうふうに玉子が半熟状態。
テーブルには箸の用意はなく、匙だけが供される。
IMG_8482.jpg
夫はこの親子丼を9割がた食べ、私は10割1分を完食。

食後は、玉ひでの隣の隣にある創業大正8年の喫茶店に入る。
「喫茶去 快生軒」(きっさこ かいせいけん)
IMG_8472.jpg

IMG_8487.jpg

店内はレトロな雰囲気で、珈琲の味もレトロな味(?)
快生軒
珈琲をまったり飲んでいたら、「玉ひで」で相席だった
60代後半ぐらいの女性二人が入ってきた。
「あら! またお会いしましたね!」

浜町駅へ戻るこの辺り、「甘酒横丁」という。
江戸の昔「甘酒屋」があったからだそうだ。
甘酒横丁 

今はもうなくなってしまったその「甘酒屋」さんから、
甘酒の作り方を伝授されたというお豆腐屋の「双葉」さん。
IMG_8491.jpg

温かい甘酒1杯と、甘酒ソフトなるものを買い食い。
甘酒ソフト 

お土産に3種類の甘酒(白米、古代米、玄米)を買いました。
IMG_8500.jpg

晩のおかず用に野菜がんもも買った。
IMG_8492.jpg

止せばいいのに、たい焼きの焦げる匂いに誘われて・・・
鯛焼き柳屋
東京三大「たい焼き」は・・・
「人形町の柳屋」「四谷のわかば」「麻布十番の浪花家総本店」
 たい焼きはね、お土産に買って帰り、冷めたのを食べるよりも、
 焼きたてを1匹だけ買って、その場で熱々のうちに食べるに限るよ。
浜町公園
と言っても、店内に食べる場所はなく、
浜町公園まで戻って、
むしゃむしゃ1匹ずつ食べました。
しっぼの先まで餡が入っていて、皮はパリパリ。
餡の甘さは控えめ。

曇ってきた。雨が降りそう?
洗濯物干してあるんだ!
急いで帰路に着く。
帰り着いたのは午後3時過ぎ。

今日は楽しいお出掛けをしたのに、
夕食を食べた後の夫は、また、
カンガルーの奥さん↓のような困惑のお顔に。
そして、鞄を抱えて、「家に帰ります」が始まった。
カンガルーフフ_0001 
最近は、連日のように、
「鞄を持ったカンガルーの奥さん」が出てきてしまうのだ。

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いろいろ一所懸命に働いてくれる夫です

昨日から私の Amazon fire タブレットが行方不明。
夫がきっとどこかにしまったに違いない。
ありそうなところは探してみた。
 夫の鞄の中
 冷蔵庫・冷凍庫(!)の中
 食器棚の中
 台所の引き出し
 文具入れ
あぁ~、見つからない 。゚(゚´Д`゚)゚。

夫は物が乱雑に散らかっているのが好きでないみたい。
私がこれから使おうと思って「とりあえず」置いてある物でも、
夫は「散らかっている」と思って、黙って、片付けてくれる。

問題は、片付けた先が、その物があるべきところとはかけ離れた所に
しまわれていたりするので、見つからない。

夫に訊いてみたところで、覚えているわけがないので、
最初から訊かない。

私が、朝、穿こうと思って出して置いた靴下が、消えた。
どこへ? 仕方がないので、また別の靴下を出した。
夕方、夫の鞄の中から見つかった。

私の携帯電話(ガラケー)やタブレットは、
使う頻度が高いので、テーブルの上に置いていることが多いので、
被害に遭いやすいと言えば、確かにそうなのだが・・・
いずれどこかとんでもないところから出てくるだろう。

******************************

今日も、夫は「3時過ぎくらいには出掛けるよ」
「どこへ行くの?」
「●●で会議があるから、行かないとならないんだ。」
「へぇ~、どうぞご勝手に。私は行かないけどね。」
「・・・・」
夫はちょっと考えてから、
「やっぱり、今日は休むわ。身体がちょっと、疲れているから。」
「そうだね。やめたほうがいいね。」

ふ~ん、なるほど。
「出掛けなければならない」と義務感から言っているが、
どうやら、内心は「あんまり行きたくないんだけどなぁ~」
と思っているようなのだ。

その後、何度も、
「そろそろ出掛けないと・・・」と言うたびに、
「もう間に合わないから、今日は行くのを止めたら?」とか、
「えっ? 今日は「休みます」と電話しておいたから、行かなくていいんだよ。」とか、
言ってやると、「行かなくていいんだ~」と、ちょっとホッとした様子。

夫は、私がパソコンに集中したり、読み物を読んだりしていると、
落ち着かなくなる。
自分がやるべきことが、見つけられなくて、焦燥感に駆られるようなのだ。
だから、夫に「ちょっと手伝ってくれる?」と頼み事をすると
嬉しそうに手伝ってくれる。

今日は、洗濯物を取り込んだ後、タオルを折り畳んでもらった。
(衣服等を畳むのは、複雑過ぎるので、夫に頼むものは選んで・・・)

その後、時刻的には早かったが、午後4時ぐらいから夕食準備。
素早く頭を巡らして、夫ができそうなことを選び出し、やってもらう。
ゴボウとジャガイモを洗ってもらう。
 が、ゴボウの土がよく落とせていない。
 皮まで削ってしまうので、それを止めさせる。
(根菜類は皮のところが栄養豊富なので、いつも皮を剥かないで調理する。)

やっぱり、「炒める」調理がやりやすい。
調理1 

それから、サラダの胡瓜を切ってもらう。
最初に見本を見せて、同じようにやってもらう。

調理2 

だんだん小さく切ってしまうので、指で「このあたり」と差し示して。
ニンジンやワカメも切ってもらった。

お米の分量は私が量り(麦も入れ)、夫に研いでもらう。
夫は、お米の分量をきっちりと量るということが、今イチできない。
そこはさりげなく、私がささっとやってしまって、夫ができそうなことを
「じゃあ、お願いね」とやってもらう。

今日は「カンガルーの奥さん」は現れなかった。

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トイレに閉じ込められた話

夫を連れて、私の実家に行った。
最近、父の食欲が落ちているとのことだったので、様子を見に。
ところが、私の勘違いで、父はデイサービスに行っていて不在だった。
そこで、実家に着いた早々、母と私たち夫婦とで、昼食は外食しようということになった。
出掛ける前に、夫にはトイレに行っておいてもらおう・・・
夫を実家のトイレに連れて行った。
立ってしようとするので、「座ってやってね」と夫を便座に座らせて、トイレのドアを閉め、私は母のいるリビングに戻って待っていた。
・・・・
ちょっと遅いなあ?
トイレに行ってみると、ドアに鍵がかかっている。
あれ? 鍵なんかかけているんだ。
トントントンと叩いてみると、
中から、ドアをバンバンと叩いての応答あり。
え? どうした?
もしかして、鍵を開けられないの?

実は、今まで、夫について書いていなかったことがある。
夫は耳が聞こえないのだ。生まれつき・・・
生来、音、音声、音楽・・・を聞いたことがない。
日常のコミュニケーションは手話だ。
このブログに書いてきた、夫の発言は、
すべて手話で語られたものだし、
当ブログの登場人物の友人、先輩、教え子たちも、
99%が夫と同じ、耳の聞こえない仲間たちだ。
(私や、私の両親、夫の兄弟姉妹は聞こえるが。)

認知症で、しかも、耳の聞こえない夫が、
トイレに閉じ込められてしまった!
恐らく、夫は自分で鍵を掛けたのだが、
鍵の開け方がわからなくなってしまったのだ。

トイレの木製ドアには窓ガラスなどないから、
ドアが閉められてしまえば、互いの顔が見えない。
見えなければ、夫とコミュニケーションがとれない。

トイレの窓はどうなっているんだっけ?
慌てて家の外に出て、トイレの窓側を見たが、
面格子がきっちりとはまっていて、外からは窓が開けられない。

夫は、トイレのドアをバンバン叩き続け、
私の母は、トイレの前でオロオロするばかり。
夫、声をあげてはいないが、
バンバン叩いているところをみると、
パニック状態になっているかも?

早く開けてやらないと~!
え~と、こういう時は (。Д゚; 三 ;゚Д゚)
紙とマジックペンを取り出す。

「お母さん、トイレの鍵はどうやってあけるの?」
私も、実家のトイレに入る時、ほとんど鍵をかけないので、
どんな鍵なのか、思い出せない、わからない。
「え~と、指で押すの」と母。

「●●(夫の名)、ドアを指で押して下さい」と
紙に大きく書いて、
トイレのドアの下にわずかに開いている隙間から
紙を差し入れ、夫が気がつくように、紙を左右に振った。
すると、紙がす~っとドアの向こうに吸い込まれていった。
夫が紙に気づいて手にとってくれたのだ。
夫も、私がドアの向こうに居ることが了解できただろう。

ところが、トイレのドアは開かない。
当たり前だよね。
「ドアを指で押す」では、意味が通じない。
私も冷静さを欠いていた。

「お母さん、トイレの鍵って、どうなっているの?」
「ポチッというのを指で押せばいいのよ!」

?たぶんドアノブの下にあるのだな?
「ドアノブの下 ポチッというのを押せば、ドアが開くから」と
書いて、ドアの下から差し入れ、その紙を左右に振ると、
また、す~っと吸い込まれていった。

その後も二度ほど文を変えて、紙を差し入れたが、まだ開かない。
母はオロオロするばかり。

え~と、ドアが開かない時は、誰に、どこに頼んだらいいのか~?(;゜0゜)
工務店?  119番のレスキュー隊? そんな大袈裟な・・・

「お母さん、鍵のポチっていうのって、どういう形なの?
 え? 四角いの? 四角くて小さいの?」

もう一度、紙に
「ドアノブの下にある □ を指で押せば、ドアが開く」と
書いて、ドアの下に紙を差し入れ、左右に振ると、
紙はドアの向こうにす~っと吸い込まれていった。

まだ開かない。
もうダメかな? 
トイレのドアの外側を見ても、ドアの外から開けられそうなネジなどもついていない。
トイレのドアをぶっ壊すにしても、どこをどうやったら壊せるのか・・・?

と・・・ドアが開いた!
え~ん (´;ω;`) やったぁ! 良かったぁぁぁ~
思わず、夫を、ぎゅっ~と抱きしめた。
何度も、何度も、ぎゅっと抱きしめた。
良かったぁ、良かったぁ、よく開けられたねぇ。

夫は記憶障害重度の認知症だけれども、
幸い、まだ、文字や短文を読んで理解することができる。
だから、ドアの下から文を書いた紙を差し入れて
コミュニケーションをとることができた。
もし、意味性認知症になっていたら、
この方法も使えなかっただろう。

開いたドアから出てきた夫は、泣いたりはしておらず、
意外と平静な顔つきだった。
本当にパニックになっていたら、
文を書いた紙を差し入れても、
理解できなかったかもしれない。

あらためて、トイレの中の鍵を確認したところ、
「なるほど、この鍵では開けられないわ」と思った。

下の写真がトイレの内側のドア。
ドアの前に立ってドアノブを見下ろした時の写真。
鍵がどこにあるかわかりますか?
ちょっと、わかりませんよね?
IMG_8513.jpg 

便座に座って、ドアノブを見ると、このように見えます。
 ↓
IMG_8514.jpg 
あっ、鍵が見えましたね↑。
この焦げ茶のポッチを押すと鍵がかかったり、開いたりする。

あの時、私は、夫を便座に座らさせて、ドアを閉めた。
夫は自分の目の前に、ドアの鍵が見えたので、
鍵を掛けたのだ。
そして、用を足した後、立ち上がって、ドアを開けようとしたら、
開かなかった。
夫は、認知症で重度の記憶障害があるので、
自分が鍵を掛けたことや、鍵の位置などは覚えていない。
立ち上がった状態で、ドアノブを見下ろしても、鍵は見えない。
しかも、夫の視野は極めて狭くなっており、注意力もないので、
鍵を自力では見つけられなかったのだろう。

ちなみに我が家のトイレのドアは、内側から鍵を掛けても、
外側からも開けられるようになっている。↓
ドアノブの上にちょこっとついている丸いところに縦線が見えますか?
ここを爪か硬貨でまわせば、外から開けられる。
IMG_8515.jpg 

トイレの内側に付いている鍵はこんなふう↓
IMG_8516.jpg 

今回の「トイレ閉じ込め」事件で、昔の出来事を思い出した。
私、20代前半に交通事故で、足の膝を傷めたことがある。
1ヶ月間ギプスをしていたので、ギプスをとった後、足の膝が曲がらなくなった。
痛いのをガマンして、少しずつ、膝を曲げるようにリハビリをしなければならない。
そんな時、親類から、おばあさん(認知症だった)を温泉に連れていくので、一緒にどうぞと誘われた。
一緒に温泉に浸かりながら、おばあさんは、私に
「あなた、足、どうしたの?」と尋ねる。
「交通事故で・・・」と。
また、しばらくすると、
「あら? あなた、足、どうしたの?」
「えぇ、交通事故でケガをしたのです。」
何回も同じ質問が繰り返された。
その日、おばあさんがトイレに行くというので、
私が付き添って旅館のトイレに行った。
トイレのドアを閉めて、外で待っていたら・・・
おばあさんが、トイレのドアをガタガタ言わせながら、
「あら? 開かないわ、開かないわ~」ガタガタ!
「えぇ? 開かないんですか?」
私は青くなって、同行の親類を呼んだ。
「たいへん、おばあさんが入ったトイレのドアが開かなくなりました!」
「え~! なんで、鍵をかけさせたのよ!」と責められたが、
そのおばあさんも、今日の夫も、いつものように無意識に
鍵を閉めちゃっただけだから・・・
旅館の係の人も呼んで大騒ぎ。
その旅館のトイレの個室の窓は、
トイレの洗面所についている窓から、
外の屋根に出れば(2階だった)、
トイレの個室の窓に入れることがわかり、
私は責任を感じて、自分からトイレの窓から2階の屋根に出て、おばあさんの入ったトイレの個室の窓から入って、中側から鍵を開け、ようやく一件落着。

認知症の人がトイレに入る時は、外から開けられないタイプのドアの場合、内側からは鍵を掛けさせないようにしないと、大変なことになってしまう。
特に、自宅ではない、馴れていないトイレでは、鍵を掛けさせてはいけない。

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こんなふうに1泊旅行(岐阜行き)の計画を立てた

岐阜在住の友人らが主宰する劇団の公演を
認知症の夫と一緒に見に行ってきた。
今回は、夫が車椅子を利用するようになってから
3回目(3年目)となった。

★ポイント:東海道新幹線の予約
 車椅子用席を予約(通常の指定席料金)。
 3列席のうちの1席が外されているところに車椅子を置ける。
 多目的室(個室)も通常の指定席料金で予約できるが、
 これまで利用して思ったのは、
 赤ちゃん連れのお母さんが、授乳やオムツ替えのために、
 この多目的室を利用されるので、
 多目的室が1室だけの場合、これを占有してしまうと、
 他の赤ちゃん連れのお客さんが利用できなくなってしまうということだ。
 もちろん、長時間の移動のため横になっていることが必要な方は
 遠慮なく利用して構わない。
 けれども、夫は立ち上がって、短い距離なら歩けるので、
 通常の車椅子席で十分だ。

 車椅子席が良いのは、
 車椅子を置くスペースがあるということと、
 トイレ(車椅子用)がすぐ目の前にあることだ。

 夫は歩けるが、短い距離に限られ、
 パンツ・ズボンの脱ぎ着を見守らねばならない。
 となると、二人で席を外す必要があることになり、
 貴重品を持って、移動しなければならない。
 したがって、トイレが目の前にあるというのは
 重要なポイントになる。

★新幹線の車椅子席予約の不便なところ。
1.当日の予約ができない。
 東海道新幹線の車椅子用座席は利用の2日前までに、
 JR東海の駅に電話をして、第3希望まで伝えて、
 予約してもらう。
 当日でも、まったくできないことはないようだが、
 車椅子席は、上部の決済が必要(?)なのか、
 窓口で1時間ぐらい待たねばならないのだ。

認知症の夫は、体調に波があり、予定した日に、
体調が悪かったりすることがある。
だから、他の人と一緒のツアーなどに参加するのは無理。
個人で行く旅行も、その日の体調によって柔軟に、
時間を調整できる方がありがたいのだが・・・

2020年にオリンピック・パラリンピックが開かれ、
障害を持っている国内外の多くの方々が、
日本国内を移動すると思う。
そんな時に、JRの車椅子席は、当日予約ができない・・・
というシステムでは、対応しきれなくなると思う。
JRには、車椅子席の予約の改善を求めたい。

2.予約した車椅子指定席の購入が不便
 東海道新幹線の車椅子席は、
 JR東海のみどりの窓口で受け取らねばならない。
 ところが、私たちがJRに乗車する駅はJR東日本管轄だ。
 そうすると、乗車券だけを乗車する駅のみどりの窓口で買い、
 東京駅に着いてから、もう一度、JR東海のみどりの窓口に行き、
 車椅子用指定席券を買わねばならない。

 今回は、時間がぎりぎりになったので、乗車駅では、
 自動券売機で東京駅まで普通切符を購入して入り、
 東京駅のみどりの窓口で乗車券と指定席券を購入することに。
 東京駅までの運賃を余分に支払わねばならなかった。

 また、今回だけの対応なのか、わからないが、
 東京駅に着いた時に、案内をお願いしていた駅係員は
 JR東日本の方で、その人に、
「車椅子用の指定切符は予約してあるが、これから購入」と告げると、
「JR東海の係員に引き継ぎますので」と言われ、案内されるままに、
東海道新幹線の入り口に直行。
(あれ? みどりの窓口ではないの?)
入り口の係員の方に、
「車椅子用の指定席を電話予約していますが、
まだ、乗車券と指定席券を購入していません」と
予約の名前(夫の名前)伝えると、
係員が、どこかに電話をして確認している。
「しばらくお待ちください。」
しばらくすると、新幹線の入り口の横にある「精算窓口」へ案内され、
その窓口で乗車券と車椅子用指定席券を購入することになった。
係の人に「通常、ここで購入できるのですか?」と訊くと、
「普通はみどりの窓口で買ってもらうのですが・・・」と。
時間が迫っていたので(出発20分ぐらい前)、
イレギュラーな方法だったのか?

★駅員さんの案内について
 駅員さんの案内を頼むと、出発駅だけでなく、
到着駅の駅員さんの手配を調整する関係で、
だいたい10分ぐらい余計に待たされる。
 なので、できるところは駅員さんの案内ナシで行きたいが、
東京駅のように混雑していて車椅子で移動が危険だったり、
車椅子ルートがよくわかっていない駅を利用する場合は、
駅員さんの案内を依頼する方が間違いがない。

★旅程のつくりかた
東京から岐阜へだと、健康な人なら日帰り可能だろう。
しかし、認知症の夫にとっては、移動は車椅子であったとしても、
ものすごく疲れてしまう。
だから、旅行の際には、移動をした後は、
必ず、ゆっくり休む時間をとるようにする。

また、夫は朝早く起きるのが苦手だ。
だから、出発の時刻は、ゆっくり10時とか11時台がよい。

さて、今回のお芝居の公演時間は、14時と19時からの2回。
朝ゆっくり出発しても、14時の公演には間に合う計算であるが、
移動した後の夫は疲れ果てているので、公演会場に直行すると、
肝心のお芝居の最中に、ぐ~ぐ~居眠りとなりかねない。

そこで、岐阜のホテルに早い時刻にチェックインして、
ホテルでゆっくり一眠り。

★ポイント: ホテルの滞在時間
 チェックイン午後2時、チェックアウトは午前11時という
 プランをとった。
 また、今回は、夜の公演を見てから、
 友人等の打ち上げ会に参加。
 夜遅くにホテルに戻る予定なので、
 翌朝、夫は朝寝坊することを見込んで、
 朝食なしのプランにした。
 
夕方、眠りから覚めたら、軽く食事。
今回は、家から昼食と軽食用のおにぎり持参。
それから、ホテルを出て、車椅子に夫を乗せて
徒歩15分の公演会場へ。

公演会場は古いビルの3階にある小劇場。
なんとエレベーターはない。
私たちが車椅子で到着すると、毎年、
屈強な若者(中年?)を手配してくれて、
3階までおんぶしますよと言ってくれる。
ありがとう!
でも、夫は、まだ、手すりをつかまって
ゆっくり3階まで階段を上がれました。
車椅子を利用して3年目だけれども、
今年も階段を上がれました。

そして夜7時からの公演。
1時間半弱の公演の間中、
夫はずっと目をぱっちりと開けて観ていました。
観ているそばから、内容はどんどん忘れてしまうと思うけどね。

最終日だったので、劇団のみんなの片付けが終わるのを
外でずっと待って(1時間ちょっと待ったなあ)、
夜9時45分頃から打ち上げ会に一緒に参加。
一緒に食べながらおしゃべりをした。

夫は、自分から話題を持っていくことはできないが、
他の人の話に相づちをうったりして、なんとなく、
わけがわからないなりに、楽しい雰囲気かな?

夜11時をまわったところで先に失礼して
夫を車椅子に乗せて、ホテルまで歩いて帰ってきた。
夜11時半頃着。

それから、ホテルでシャワーを浴びてから寝た。
無事一日が終わった。

(つづく)

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岐阜・金華山に車椅子で

昨晩寝たのは午前0時をまわっていたにもかかわらず、
翌朝、夫は早めに起きることができた。

夫が寝坊するだろうと思って、ホテルの朝食は頼んでいなかった。
1人分の朝食は1080円だから、無駄にしたくなかったし。
代わりに、自宅からバナナとみかん、プレーンヨーグルト1パック(500g)、
それから頂き物のカステラ風洋菓子を持参し、
ホテルの冷蔵庫に入れておいたのでそれを朝食にした。

予定より早めの9時半頃、ホテルをチェックアウト。
金華山に行くので、大きなリュックと呼吸器のバッグは
ホテルのフロントに預けた。

ホテルを出てすぐのところに、
金華山行き(バス停は岐阜市歴史博物館前)のバス停がある。

帰りはホテルに寄って荷物をピックアップしてから、
岐阜駅に行くので、駅から近く、バス停からも近いホテルを
宿泊先に選らんだのだ。

さて、岐阜バスは、車椅子のまま乗り込めるバスが限られている。
時刻表に車椅子マークがついているバスのみで、数が少ない。
ちなみに、東京都営バスは100%車椅子のまま乗り込める(はず)。

夫は、車椅子から立ち上がって歩くことができるので、
バスが来るまでは車椅子に座って待ち、
バスが来たところで、車椅子を畳んで、乗り込む。
岐阜バスは、乗車は後ろから、降車は前からである。
乗り込む時に、周りにいる人たちが、夫に手を貸してくれて、
夫を席に座らせてくれた。
私は車椅子を畳み、バスに乗せた。
車椅子用のスペースはないので、夫の座席の隣に
畳んだ車椅子をくっつけるようにして置き、
私は立っていた。

バスの運転士さんは、私たちが車椅子を持って乗車したことに
気づかなかったようで、出発前、私が立っていたら、
「空いている席におかけ下さい。」とアナウンス。
空いている席は、一段高いところにある席だったので、
畳んだ車椅子を押さえながらは座れない。
「すみません。車椅子なので・・・」と応えると、
運転士さん、バックミラーで状況を把握したよう。
「岐阜市歴史博物館前で下ります」と声をかけておいた。
下りる時には、畳んだ車椅子を先に下ろして、乗れるようにセットし、
それから、バスの中で座っている夫の手を引いて降りるので、
バスに少し待ってもらわないといけないから。

少し進んだところで、夫が座っている前の席が空いたので、
私はそこに腰掛け、畳んだ車椅子を横にくっつけて置く。
バスの通路は狭く、降りる人は畳んだ車椅子の横をやっと通れるぐらい。

20分ほどで岐阜市歴史博物館前に着くが、その直前に、
後払いのバス運賃を支払うため、前の方に行き
二人分支払う(障害者手帳を見せ、障害者と介護者料金)。

バスを降り、少し歩くと、岐阜公園だ。
IMG_8401.jpg 
目の前の金華山の上に、かすかに岐阜城が見えます。

5年ぐらい前、夫がまだ歩けていた頃、
金華山に来て、ロープウェイに乗って上まで行き、
それから岐阜城まで歩いて行き、さらには、
岐阜城の天守閣まで登た。

けれども、金華山の上の状態が、どのようになっていたか、
(具体的には、階段がどれくらいあったのか)
ほとんど記憶に残っておらず・・・
それくらい、当時は、難なく、歩けていた、
ということなのだと思う。

さあ、ロープウェイで金華山に登りましょう。
リロちゃん 
ロープウェイで上まで行くぐらいは、すぐにできるだろう・・・
と思いきや、いきなり、ガ~ン。
ロープウェイ乗り場に行くまでに、こんな階段があった。
ロープウェイ階段1 
係の人が、必要であれば、
車椅子ごと抱えて登ってくれるということであった。
まあ、手すりに捕まれば、夫は歩いて登れるだろう。
それに、今回は、岐阜城までは行かないし、
ロープウェイを降りたところにある、「リス村」だけ見て、
降りてくるつもりだ。
車椅子はここに置いて、預かってもらうことにする。

階段を登り、ちょっと歩いて・・・
えぇ? まだ、階段があったのか~ (;゜0゜)
夫、大丈夫か?
IMG_8409.jpg 
何とか登り切った夫だが、もう、
「めまいがする~」と言っている。
係の人が折りたたみのパイプ椅子を持って上がってきた。
ロープウェイが来るまでの間、これに座っていろということか?

いや、違った。
ロープウェイの中には、座るところがなかったのだ。
(そんなことも、まったく記憶に残っていなかった。)
だから、夫のためにパイプ椅子を持って来たのだ。
IMG_8412.jpg 

IMG_8416.jpg

IMG_8426.jpg
眼下に流れているのは長良川です。
IMG_8433.jpg
よく晴れた日だったので、眺めは抜群です。
着いたところで、夫は、もうフラフラしている。
ロープウェイ乗り場から数メートル歩いたところ、
リス村の入り口の前にベンチがあったので、
そこに腰掛けて休ませる。

できれば、レストハウスまで行って、
岐阜市内を眺めながら、昼食としたかったが、
こんな階段↓を登っていかねばならず、
(写真では見えないけれども、
まだこの上に登る階段があり、その先がレストハウス)
IMG_8435.jpg 
レストハウスに行くことは、あきらめた。
それにしても、5年ぐらい前は、こんなところも
平気で歩いて登っていたとは・・・
ちょっと、隔世の感がある (ノ_<)。

リス村に入る。
夫は、もう疲れて、ほとんど歩けず、
リス村のほんの入り口のところに居たリスに
餌をやって、もうすぐに出てきた。
IMG_8438.jpg 
リス村から出たら、もう、やることもない。
さっさとロープウェイに乗って、あっという間に降りてきた。

岐阜公園内の店で焼き団子を食べる。
焼き団子 
この店「むらせ」は、5年前にも来て、昼食を食べたところ。
午前11時でちょっと早いけれども、今回もここで昼食にしよう。
IMG_8458.jpg 
店内はなんだか懐かしい雰囲気。
豆腐田楽定食といも(里芋)田楽定食を1つずつ頼み、
田楽を半分ずつ分けて食べた。
IMG_8462.jpg
お腹いっぱいになったところで、正午。
まだ、時間があるので、岐阜公園内にある岐阜市歴史博物館に行ってみる。

以前の夫と違い、展示物にはあまり興味を示さなくなってしまったので、
さらっと見てまわって終わり。
もう、だいぶ疲れてしまっているので、バスに乗って帰ってきた。
ホテルで荷物をピックアップして、岐阜駅に向かう。

予定の時刻よりもだいぶ早い。
名古屋発の新幹線の車椅子指定席券は午後3時台だが、
夫は疲れているし、喫茶店にでも入って予定の時刻まで待つのも、
結構疲れる。もっと早い時間に帰りたい。
岐阜駅のみどりの窓口に行き、交渉。
早い時刻の車椅子席をとろうとしたが、
「1時間はかかるので、当初の予約席と同じ時刻になってしまう」
と言われた。
そこで、車椅子席でなくてもよいから、
とにかくトイレに近い席をとって欲しいと依頼。

午後2時台の新幹線のぞみの14号車の一番後ろの3席のうちの2席
ドアを開けるとすぐにトイレのあるところの席が予約できた。
席の後ろと車輌の壁の間に、うまい具合にスペースがあるところで、
車椅子は、折り畳まずとも、その間に置いておくことができた。

荷物 
(今回の1泊旅行のいでたちは、こんな感じ。
 車椅子の後ろに呼吸器のバッグを掛け、
 黒いリュックサックは私が背負って、
 車椅子を押す。
 夫の膝の上に夫の赤い鞄。
 これ以上の荷物は持ちきれないので、
 何泊になろうと、この組み合わせで行くしかありません。)

東京駅からは、さすがに在来線や地下鉄を乗り継いで帰るのはしんどい。
しかも、自宅前の坂が難所なので・・・タクシーで帰りました。
まあ、疲れたけれども、やっぱり行って良かった。
車椅子での旅行も、何度も何度も繰り返さないと、
なかなか習熟できないもの。
今回もいろいろなことに気づかされた岐阜への1泊旅行でした。

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夫と2人暮らし。
子どもはいません。
2人と猫2匹の家族です。

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